2011年2月19日土曜日

スターネスになる瞬間。




16日のノア後楽園ホールに行ってきました。今回はバルコニーではなく、南側に座りましたが、まぁ野次の凄い事。
最近、メッキリ楽しい試合が無くなり、まぁ3.5有コロの前挑戦とあり荒れた試合ばかり。

気になったのは久し振りの泉田が試合が終わっているのに、志賀を踏み付けるシーン。パートナーの田上社長が怒ってましたね。気持ちは分かるけど、舞台裏をリングでやっちゃイカン!!
モリシ&吉江の試合も



ドン引き。久し振りに秋山のアツいマイクが聞けました。

そして僕のメイン青木vsマルビンはマルビンが勝つし、遂に来た丸藤vs小川も丸藤が負けるという失態。

鼓太郎vs平柳のブルーディスティニーホールドはエグい。

グレたKENTAはイマイチ新鮮味に欠けてたなぁ。今更感が。DIS OBEYは一体何処を目指しているのか。全日のVMみたいな感じ?

谷口の佐野からの金星は嬉しい誤算でしたね。

メインはバーナードとかいう新日のデカいだけの外国人が目立っていたけど、オモロないよー。はよー新日と縁を切ってよ、ノアさん!!


2011年2月14日月曜日

衝撃画像!ウサギの・・・

ベッドに上がって静かになったココモル。そっと覗くと


写真を撮る前には白目を剥いていました。
最初、具合いが悪くなったのかと思いきや、爆睡しているだけでした。

2011年2月9日水曜日

ゲイリー・ムーアの突然死について。

ゲイリー・ムーアが7日、突然死との情報が流れた時、膝から崩れ落ちた。
三沢の時のヘコみ方とは違う。
あの時は「遂に、この日が来てしまったんだ」と思った。
あの闘いっぷりは何時の日か、こんな事故があったりしてと常に考えていたので、速報で知った時には「全てが終わった」と思いつつも、何処かで覚悟はしていた。そして周囲は「なんで三沢なの?」と僕に問い掛けてきたが、今思えば答えは「三沢だから」の一言であろう。

話しを戻して、ゲイリー・ムーアはガキの頃からの僕のスーパーヒーロー。
そして去年、21年振りの日本でのライブ。始まりから終わりまで、声援を挙げる事も無く、只々、あの超絶プレイと雰囲気に呑み込まれ、パリの散歩道のキュイーーーーンの時には骨抜きにされた。あの日のブログは今は自分で見る勇気が無い。
ゲイリー・ムーアが流行した時代、それはロック=ドラッグみたいな定義付けの時代だった。ゲイリーも親友であり、アイルランドの英雄フィル・ライノットをドラッグにより奪われた。そんな中、クリーンに音を探求し続けたゲイリーが、眠ったまま心臓発作でこの世を去った。常に新しい事をしながらも、自分のスタイルを持っていた人間国宝。まだゴールが見えない音へのこだわりを持ったまま。
つづく




毎日書くのはヤメようと思ったら旨。

毎日、毎日書いていると、内容が薄くて、ただの日記になってしまう。

僕はそれを望んでいなかった。去年は365日、ミッチリ書いたけど、大切な情報や趣味の事以外の「つぶやき」が多かった。

ヤメよう、そんなスタイル。