2010年1月9日土曜日

第一回 コラム「言わせてもらいます」

最近になって、再度、村上龍の「すべての男は消耗品である」と、リリー・フランキーの「女子の生きざま」をペラペラ見る。
良い出来だと思う。太宰治の「人間失格」を初めて読んだ時は、太宰の本の中で、一番嫌悪感があった。ファンなのに何故?と思っていたが、今、自分がやっている事と凄くシンクロし、戒めを受けている様な気分になる。

そして、前者2人の本も「全くだ」と共感してしまう。
持論を共感させる力って、素晴らしいと思う。

ただ、この3者に共通しているのが「自分の偏見」「自分の体験」を語っているのである。

ここで1つ。
「共感」と「強要」は違うと思う。
「自分の考え」からズレる事で、それは矛盾しているとか間違っているなどと強要する人がいる。

それこそ「人間失格」であり、ただの「消耗品」である。
歯磨き粉や、綿棒と同じ類い。

ブログなんて所詮は一方通行な「エッセイ」や、情報を共有するもの、もっと言えば、日記代わりに書いている人もいる。
これは良いと思う。何故なら、自分と考え方が違えば閉じてしまえばいいのだ。
本も同じであろう。

ただ、それを口にして不快にするのなら、それは攻撃となる。
何も人の事を考えていない自己至上主義者。
消耗品というか、生ゴミ。
いや、生ゴミは不快になるだけで攻撃はしない。地位を付ければそれ以下。

そんな人間とは共存もしたくない。

ならば、どうすべきか。
それが昨日の「受け流し」だ。
そう、養老先生の言う所の「鈍感力」を付ければいいのだ。
そうでなければ、身体が持たない。生ゴミ以下に付き合う程にそれは必要となる。そうすればシャットアウトする必要も断ち切る必要もない。

ちょっと村上龍っぽく書いてみちゃった。

ネタがないのでちょっと暇潰しで
筑紫哲也さん風に「多事争論」してみた。

このシリーズを続けるのはちょっと無理があるので、不定期にはなるが、面白い試みだと思う。
なんせ、筑紫哲也さん、爆笑問題の太田さんの大ファンなので、昔からこういった事をしてみたかった。



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